師走ですね
こんにちは。
今週12/5(火)に3学期の教員最終日を迎え、1ヵ月ちょっとのホリデーに入っています。
学年度末でもあった今学期の最終日はいつも通り6時50分出勤で、皆の仕事(成績処理等)が終わったのは19時過ぎでした。なんと12時間労働!いつぶり!笑
1,2学期の最終日は16~17時に終わりましたが、3学期はやることが多かったのでこの時間になったのも納得です。さすが年度末!
あ~私の一年目も終了したのか~来年のこの場がきっと活動最終日にもなるのか~としんみりした夜のスタッフルームでの集まりでした。
そうです、協力隊としての活動も後半戦に突入していくのです…!
あと2年はお預けなんだと思いながら除夜の鐘を聞いて迎えた2017年。
公用旅券と3枚の片道航空券を持って成田空港を出発した1月16日。
ひとりぼっちでナミビアのウィントフックに到着した1月17日。
慣れたウィントフックを離れ、任地ツメブに移った2月13日。
授業デビューした2月15日。
あとはあっという間です。授業準備に追われる日々、生徒に静かにしてもらえない日々、大して人と話さず1日が終わっていくことに焦る日々、想像していた"アフリカの協力隊員っぽい生活"とかけ離れたそれに、これでいいのかなと思う日々、、、
…とか書いてみたけど、本人は全くへこんでいません。基本的に楽観的なのですわたしw こんな人がいてもいいよね、人と比べる必要なんてないよねって思いながら過ごしています。
はじめての海外生活はほぼ問題なくやっていけています。
子どもは苦手なはずなんですが(セカンダリースクール配属の人が何を言うw)、生徒は可愛くて特にGrade8(中2)の男の子ばっかりのクラスの授業は毎回楽しみでした。
これら↑がそのクラス。Scratchプログラミングを教えているところをカウンターパートに撮ってもらいました。
活動は私のペースで進め、壁にぶつかることも今のところありません。来年は落ち込む時期がやってくるのかな、と少しひやひやです(とか書いたけど、案外大丈夫そうな気もしている笑)。
充実したナミビア生活を送っていますが、2017年は7月に父方の、11月に母方の祖母を亡くした年でもあります。遠く離れたところにいると、会いたい人にすぐに会って話すということが簡単にできないんですね。みんな何が起こるかわからない。
特に母方の祖母は、2年間は問題ないだろうと確信していましたから、ナミビア出発前の会話が最後になるなんてこれっぽちも思っていませんでした。それでも、10月に一時帰国し、いまが祖母との永遠の別れの時になるのだと覚悟してナミビアに戻ってこられたのは、複雑な気持ちですがよかったといえるでしょう。
さて、来年は1年まるまるナミビアにいられる年。もっともっとローカルの人(同僚、生徒含む)と仲良くする2018年にしたいです。
最後は、私の愛すべきGrade8のあるクラスの生徒との集合写真です。
(全く意識してなかったけど、客観的に見たらよくある"協力隊員っぽい"写真だねこれら笑)
「これが現実だよ、これがナミビアの姿だよ。」
タイトルは、この前ツメブのロケーションを案内してくれたGrade11(高2)の生徒が何度も言っていた言葉です。
Computer Studiesを履修しているGrade11の生徒が、メールアカウントとウェブサイトを作りたいので手伝ってほしいと言われ、お家にお邪魔することになりました。
生徒:16時にKFCで待ち合わせね、僕はPC2台持っていくから。
私:え?家に行くんじゃないの?
生徒:うーん、イエス、ノー、イエス、、僕の家はネット接続がないから、〇〇(同じくGrade11の生徒)の家で使っているんだ。
私:なるほどね。
生徒:Ms(私のこと)はロケーションに行ったことあるの?
私:うん、何度かちょっとだけ行ったけど、まだ全然知らないよ。
生徒:なら僕が案内するね。僕はタウンに住んでいるけど、〇〇の家はロケーションにあるんだ。ナミビアにいるからにはMsには絶対に知ってもらわなきゃ。
そんなやりとりがあり、金曜16時にKFC(ケンタッキーですよ)で待ち合わせました。
さて、ここでタウンとロケーションについて説明しましょう。
これまで何度かブログで触れてきましたが、ナミビアの多くの街(特にドイツ植民地時代に白人が住んでいたところでしょうか)はタウンとロケーションに分かれています。
タウンは、それは先進国のように整備されていてきれいで、白人と一部黒人が住んでいます。一方のロケーションは、私が想像していた"アフリカ"です。スラム街みたいな感じで、治安も悪いです。黒人は主にロケーションに住んでいます。
なぜこのように分かれているかというと、植民地時代、街の中心地に白人が住み、黒人は郊外へと追いやられたわけですね。この住み分けはその後の南アフリカのアパルトヘイト政策にも引き継がれ、今も続いています。
ロケーションにはこれまでに別の生徒やAPC(アーツ教室)の先生などに案内してもらって何度か行っています。何に驚くって、ふだんはあんなに白人を見かけるのにロケーションに足を踏み入れるとまーーったくいないことです。0人です。ゼロ。
ツメブの地図↓を見てください。
B1という幹線道路の東(右側)がタウン、西(左側)がロケーションです。
タウンは各ブロックが広々して区画整理がされているのに対して、ロケーションは道が細く、入り組んでいるのがわかるかと。
ロケーションまでは家から約1キロ。ほぼ毎日行っているショッピングモールの裏からロケーションが始まります。
ツメブのロケーションはいくつかの地区から構成されています。
ここはタウンじゃないの?と思うほど、大きな家(中には電子鉄線付きの家も)が並び、道路も広くてきれいな地区もありました。言うまでもなくロケーションの中で一番土地?家賃?が高い場所だそうです。
そしてその横に位置するのが、皮肉にも一番貧しいKuvukiland コブキランドというところです。Googleマップには出てきません。この地区にある家の100%がトタンでできています。これはその入口。奥までは入りませんでしたが、トタンの家がびっしり並んでいるのが確認できました。ここには電気は通っていません。水道も1つしかないんだとか。
ブロックでできた家とトタンでできた家が半々の地区もあります。この地区から通っている生徒は朝5時に起きて毎日歩いてきているんだよ、歩けば1時間近くかかる距離じゃないかな、朝早く家を出ても遅刻するとtransgression(罰則と訳せばいい?)が貯まっていくんだよ。
あの子たちはあそこの学校の生徒だね、みんなこんなところに住んでいるんだよ。ここからタウンにある学校まで通っているんだよ。信じられる?
これが現実だよ、きっと政府はきれいな部分しか見せないから、ナミビアの現実をMsには知ってもらいたかったんだよ。
僕はここに住んでいる人たちが貧しいとは思わない。ただ貯金するというスキルがないんだよ。お金を貯めたらトタンではない家を建てて、タウンに住むこともできる。でもそれができないんだよ。
彼はそんなことを言っていました。
彼曰く、私の配属先の生徒の80%がロケーション、10%がタウン、10%が寮住まいではないかとのことです(ツメブのタウンの家はとても高いらしい)。
ちなみに、お邪魔した彼の友達(というか生徒)のお家はとってもきれいでした。ロケーションというとトタンの家のイメージが先行していた私ですが、そうじゃないんですね。
私が好きな飲み物(レモンツイスト)を用意してくれていて、作業をしました。でも話している時間が長くて肝心のウェブサイト作りまではたどり着かず笑。また、生徒のお母さんにファットケーキもご馳走になり、おいしかったです(ファットケーキとは甘くない揚げドーナツみたいなものです)。
他にも皆さんにシェアしたい部分はあるので、またの機会に写真におさめて記事にしようと思います。
こんなに整備されたタウンで生活していると、同じ街なのかとか疑ってしまうけれど、これが現実です。ナミビア、奥が深いですね。
日本への一時帰国って荷物のことを考えてもいい制度
こんにちは。
現在、青年海外協力隊員は2年の任期の間に一度、私費で日本へ帰ることができます。
隊員は任国外(私の場合はナミビア以外)へ行ける日数は1年に20日と決まっており、かつ渡航できる国も限られています。せっかくアフリカにいるのだし、ナミビアと日本は遠いし、20日間しか国外へ行けないのなら、と一時帰国はしないつもりでいました。
しかし、祖母の容態が急変したため、ナミビア生活9ヵ月目にして少し前に急きょ日本に一時帰国していました。
母から連絡を受けたのが月曜夕方(日本時間月曜夜)。火曜朝に帰国を決めて翌日の航空券を予約し、最短でも日本に到着できたのは木曜夜(ナミビア時間木曜昼)。任地ツメブの家を出てから関空まで実に35時間。。。やはりナミビアは遠かった。。
本来、私事目的の国外旅行は1ヵ月以上前にJICAに申請をしなくてはならないのですが、すぐに対応し、認めてくれた事務所スタッフ、配属先には感謝です。
こんな形でしたが一時帰国してよかったなと思うのは、生活や活動に必要なものをナミビアに持って帰ること、また不要なものを日本に持って帰ることができたことです。
【ナミビアに持って帰ったもの】
現地での生活が始まると、なくても大丈夫だけどあると便利だったな、というものが出てきます。
例えば基本情報技術者試験の参考書。笑 コンピュータ・スタディーズの内容、これがあればわかりやすく説明できるかも、と何度思っていたことか…笑(特にNORとかNANDとかの論理回路、わたし苦手なんです。Grade11(高2)の生徒に質問されてもごめーん、て逃げていたんです。。)
他にはきれいめ/おしゃれな洋服とか。
生活してみなければわからないですからね。
加えて、ナミビア人にあげたい日本っぽいものを調達することもできます。
ナミビアへ行く際は南アフリカ航空を利用します。南アフリカ航空、預け荷物は23キロ2つまでが無料です。2年間アフリカで生活するのだから、と1月に出発する時は自分の荷物を46キロ以内に収めることに必死でした。
また、現地の人に物をあげるのはよくない、と聞いていたこともあって、お土産なんて二の次で、本当に必要最低限しか持っていきませんでした。でも、いざ活動が始まると、同僚にはお世話になっているし、生徒はかわいいし、、、離任の時のことを早くも考えだしたんですよね。
授業最終日には、クラスの集合写真を画用紙に貼ってメッセージを書いて、そこに和紙っぽいものでデコレーションして、生徒一人ずつに渡したいな~という妄想です。でも、それが実現できるよう、和紙折り紙とサクラ・ハート・丸の穴あけパンチなどを100均で購入しました。
実際に使うかわからない穴あけパンチなんて、1月の出発時に真っ先に持ち物から除外されるものですw でも、そんなものをナミビアに持って帰る余裕ができるのは一時帰国ならではですね。
あとはこんなものも。私が通っているAPCのVisual Artsの先生へのお土産です。
かつ自分用でもあります。図々しいですが、うちわと扇子にナミビアorアフリカっぽい絵を先生に描いてもらって、約1年後日本に持って帰って使おう計画です。
1月、ナミビアへ出発する時は荷物を減らして減らして46キロに収めたのに、今回は23キロですら、とっても余裕でした。まだまだ入る、と想像以上に日本食をスーツケースに詰め込みました。ナミビアでは1000円ほどするキューピーマヨネーズも300円弱でゲットです。
【日本に持って帰ったもの】
せっかくスーツケースで帰国するんですからね、何か詰めたいです。というわけで、以下のものを日本へ持って帰りました。
・9ヵ月生活して、いらないと思ったもの(大して着なかった、かつ今後も着る予定のない洋服、余りすぎているコンタクトレンズなど)
・家族へのお土産(といっても、帰国を決めたその日に任地で手に入るものなので基本は食品。おいしいWindhoek Draught(ビール)とかルイボスティーとかスナック菓子とか調味料とか。ビール以外見事に全部南アフリカ製品。笑)
・自分へのお土産(ナミビアでこれまでに集めたもの。今持って帰ることができるものは先に持って帰ろう作戦。)
・外付けHDD(これまでのナミビア生活の写真、作成資料などのデータを日本のPCに保存するため。)
2019年1月の本帰国時にはいっぱいいっぱいお土産と思い出を持ち帰りたいから、その時の荷物をほんの少し減らすことができました。
外付けHDDはもちろんナミビアに持って帰ってきました。でも、これでもし今後外付けHDDが壊れたとしても2017年1月~10月のナミビアでの記録を失うことはありません。(今もナミビアで外付け2台でバックアップとっているんですけどね笑)
複雑な気持ちではあったけれど、色んな意味で、一時帰国できてよかったなって思います。
Tsumeb Copper Festivalに行ってきた!
こんにちは。
前回の記事(Ongwediva Annual Trade Fair 2017に参加!)で、任地ツメブでのトレードフェアが今週あると書きましたが、今日はその様子をお伝えします。
ツメブのトレードフェアはCopper Festivalといいます。copperは銅ですね。ツメブは鉱物採掘で栄えている街だからこんな名前なのでしょう。
Copper FestivalのメインスポンサーはもちろんDundeeという採掘会社。このDundee、少なくともツメブでは超有名です。慈善事業にも力を入れているようで、街ではDundeeの寄付による建物、物品をよく目にします。
さて、そんなCopper Festivalは10月31日(火)から11月4日(土)までスタジアムで開催されていて、金土と行ってきました。スタジアムと家は直線距離にして約100メートルで、連日夜遅くまで音楽が部屋まで聞こえてきてうるさかったです笑。企業・省庁ブース私が直近で行ったトレードフェアはオングウェディバのもの。国内最大級です。さすがにそれと比べてしまうと規模は劣ります。というか、Ongwediva Annual Trade Fairのすごさをひしひしと感じました。有名企業がこぞって出展していましたから。
子どもの遊びブース。ウォータースライダー楽しそうだった~~笑
Ongwediva Annual Trade Fairでも毎日飲んでいたフローズンドリンクはCopper Festivalにも出店していたので、2日連続飲みました。
ナミビアに来てからいつか欲しいと思っていたオバンボ族の衣装も遂にゲット!
スカート、2枚も買うつもりはなかったんですけど、決められなくて…2枚で3000円ほどでした。これに白か黒のトップスあわせたら可愛いだろうな~~♡
ワンピースは欲しいデザインがなかったのでまたの機会にお預けです。
トレードフェアは、各企業・省庁・団体等のグッズ集めという楽しみもあります。今回ゲットしたものがこちら↓
Ongwediva Annual Trade Fairでもたくさんもらったのですが、今回の方が私の満足度は高めです。DundeeのTシャツも、私が住むオシコト州のOshikoto Regional Councilのマグカップも、パンフレットを読んで暗記してクイズに正解して手に入れたからです。喜びもひとしお!マグカップに関しては、1回目は十分に答えられず、ボールペンしかあげられないわ、と言われて再度挑戦したんですから!
また、任地のことを学ぶよい機会になりました。オシコト州の知事の名前も覚えました。質問もして、オシコト州の州都が2008年にツメブからオムティヤというところになぜ変更されたのかという疑問も解決できました。(オシコト州最大の街はツメブですし、オムティヤなんて何もないところです。なんでそんなところに州都を変えたのかって…。聞くと、オシコト州の人口は北部に集中しているから、南部にあるツメブではなく北のオムティヤが州都の方がよいのだとのことでした。)
Copper Festivalではミスコンもありました。初日の夜、配属先のホールで開催されました。ツメブにある3つのセカンダリースクールから12人が出場し、ダンスやファニーファッション、水着、イブニングドレス、時事問題に関する質問に答えるなどなど、3時間にわたりました。
ここで選ばれたミス集団に金曜日、会場で会ったので写真を撮らせてもらいました。Miss Personality以外、私の配属先の生徒です。
なお、11月4日は公園近くのTeater Huis(シアターハウス)というところでクリスマスマーケットが開催されていたので、そちらにも行ってみました。しかし、予想はしていましたがオール白人、出店者も来場者も白人、、、アウェーすぎて居心地悪くて、5分ほどで退散しました。笑
Copper Festivalには白人も来ているけれど、白人経営のTeater Huisでのクリスマスマーケットには黒人は来ない…別に黒人と白人は関わらないというわけでは全くないのですが、あぁ、やっぱり別れているんだな~となんだか複雑になった日でした。
Ongwediva Annual Trade Fair 2017に参加!
こんにちは、りーです。
今日は8月にあったOngwediva Annual Trade Fairについて今更ながら書こうと思います。
トレードフェアとは、省庁や企業、団体などが出展し、ワークショップやデモンストレーションをして宣伝するイベントです。ナミビア各地で開催されるのですが、オングウェディバ Ongwedivaのものは国内最大級の規模なのです。
オングウェディバは私の任地ツメブから約300キロ更に北上したところにあり、北部最大の街オシャカティ Oshakatiに隣接しています。
ナミビアの協力隊員は2007年からオングウェディバでのトレードフェアに参加していて、今年で11回目です。トレードフェアでは日本文化の紹介を主にしています。もちろん私は初参加。具体的には日本のおもちゃ(けん玉、だるま落とし、折り紙、万華鏡、駒など)や書道の体験、日本食としてたこ焼きとお団子の提供、日本の写真の展示、盆踊り(炭坑節)などを3日間行っていました。
日本の風景に興味津々です。自分の名前を日本語で書くととても喜んでもらえます。たこ焼きは毎年ナミビア人に好評らしいです。
たしかに、ブース近くでたまたま会った私の教え子に(こんなところで会うなんて思わないからびっくり!computer teacherがどうとかっていう言葉が聞こえてきてそちらを見たら生徒がいるんだから驚き!ツメブから遊びに来ていたそう)たこ焼きを食べてもらったのですが、とても気に入ったようで、今も授業中にたこ焼き食べたい~と言ってきてくれます。今年はお団子も新入り。みたらし団子ときなこ味。こちらも、おいしいと言ってもらえました。
一部しか写っていませんが、私(写真右)が羽織っているのはオヴァンボ族の伝統的な柄(ピンク、赤、黒のストライプ)のハッピです。このトレードフェアのために服飾隊員が作ってくれました!オヴァンボさんは、ナミビア最大民族かつ、オングウェディバのある北部に多くいる民族です。
毎日夕方に炭坑節を円になって踊ったのですが、ナミビア人も一緒に入って楽しんでもらえたのが個人的には嬉しかったです。10年間も出展していることで、日本の知名度もここでは高いのだなと感じることが多いトレードフェアでした。
連日暑く、このフローズンドリンクを飲むのが日課になっていました。アルコールもありますが、こちらはノンアルコール。
企業や省庁などのブースはこんな感じ↓です。ウォルビスベイという港町にあるチョコレート屋はオングウェディバのトレードフェア初出展だそうです。量り売りで、1つ100円弱するのですが、日本で買うことを思うと安い…!とこれまた毎日食べていました。
今度またウォルビスベイに行くことがあれば、ぜひこのお店に足を運びたいです。
なお、トレードフェア本オープンの式典にはナミビアの大統領も出席!なんと生で見ることができました!(宿に帰ってテレビをつけたらライブ中継されていました。)
初めてのトレードフェア、いい思い出になりました。
任地ツメブでのトレードフェア(Copper Festival)は来週?今週?(10月31日~11月4日)開催されます。どんな感じなのかわくわくです。
協力隊応募~PC隊員の職種の選び方~
こんにちは。またまた久しぶりの更新となりました。
約一ヵ月後に控えた期末試験の問題作成が何とか終わりました、りーです。
青年海外協力隊の秋募集が始まっているみたいですね。
私が応募したのは秋だったので、もう2年前のことになるのか~としみじみ。
というわけで今日は協力隊応募にあたり、とっても迷った職種に関してです。
協力隊の職種は多岐に渡りますが、応募時には1つに絞る必要があります。
社会人になってから参加した応募説明会で、PC関連の職種があることを知りました。
その職種とは主にコンピュータ技術とPCインストラクターです。一応SEなのだし、と応募するならPCの職種にすることは即決でした。ただ、その後が迷うのでした。。
要請内容は似ていることもありますが、コンピュータ技術とPCインストラクターの大まかな違いはこんな感じ↓でしょうか。
- コンピュータ技術:システム開発をするか、大学の情報系の学部で教える
- PCインストラクター:小学校~高校でコンピュータの授業をする
もちろん、上記以外の内容もあります(PCインストラクターでもシステム開発をする要請や、コンピュータ技術でも配属先が高校(進学校)の場合などなど)。
コンピュータ技術の要請には理系の大学を卒業していることが条件になっているものや、実務3年以上の経験が求められるものが多い印象です。
一方のPCインストラクターは実務2年でよかったり資格は特に求められなかったりするという気がします。中には特定のプログラミング言語が使えることが条件のものもあります。(私が応募した2015年秋の話です。)また、SEである必要はなく、事務職や営業職、教師経験などがあれば応募できるように思います。
SEになったからにはコンピュータ技術で応募したいな~なんて思ったのですが、そもそも実務経験が2年しかなく、加えて文系卒の私ができることなんて限られています。
じゃあ5年ほど働いてコンピュータ技術で応募するかとも考えたのですが、私が協力隊でやりたいことはPCインストラクターの方が近いと思ったので、そちらに決めました。
システム開発は楽しかったけれど、それを協力隊員として2年間するより、コンピュータのおもしろさを伝える方に興味があったからです。まだ将来を決めていない子どもたちがコンピュータに興味を持って、その分野に進みたいな~なんて思えるようになったらすてきだな~って(夢見がちですがw)。
参考までに、私の同期の前職はこんな感じ↓です。
- コンピュータ技術:全員SE
- PCインストラクター:10人中SE4人、他は営業、技術営業、事務など
余談ですが、最後に年齢層について。
PCインストラクターは実務を最低2年積んでから応募してください~という感じだったので、24、5歳の同期とかいるのかなと思っていたら、訓練開始時27歳の私がまさかの最年少でした。ちなみに同い年は3人います。PC隊員の同期、平均年齢高めでした笑。でも大好きなメンバーです。
それではこの辺で。
面接や合格発表の時のことはまた追って書いてみたいと思います。