20代最後をナミビアで

青年海外協力隊(2016-3)としてナミビアで中高生にコンピュータの授業を教えています

教え子を亡くした話

こんにちは。

さて、ナミビアは交通事故がとっても多い国です。
整備されたきれいな道路がまっすぐ続き、走っている車は少ないです。でも、そうなると必然的にスピードが出せてしまうんですよね。主要幹線道路の制限速度は時速120キロですが、運転手は時速約140キロで走ることもしばしば。。f:id:h283-namibia:20170610230434j:plainこんなに見晴らしがいい一本道でどうやって事故が起こるの?!と思うのですが、起こるのです。片側一車線の道路で車を追い越そうとしたけど失敗したとすると…互いに例えば時速150キロで走ってきた車がぶつかったら…言わなくてもわかりますね。。

5月のホリデー中にも交通事故は起こり、私の教え子が亡くなりました。ナミビア北部から首都へ向かう道路の、首都近辺で発生した大規模な事故だったようです。
交通事故で〇〇と彼のお母さんが亡くなった、と校長から教職員全体に連絡がきた時、どことなく見覚えのある名前で‥私が教えていた生徒でした。旅行中の車内でこれを知り、嘘でしょ‥となりました。

私は学校に着任し、授業をしてまだ3ヶ月ほど。全校生徒約880人のうち約230人に教えている中で、名前と顔が一致している生徒なんて恥ずかしながら20人ほどしかいません。そのうちの1人です。。こんなことってあるのでしょうか。。

彼は私が担当する25人クラスの中で唯一テストで高得点を採る生徒だったのです。出来のよくないクラスだけど、彼に賭けて、彼を原動力に、2学期から頑張ろう、と意気込んでいた矢先のこの知らせ。。気分はずぅーーんとします。彼と絡んだことは3回ほどしかないけれど、思い入れがあったからか、鮮明に覚えているんです。
期末テストを返却した時に、最高点誰?って聞いてきて、君だよ、って言ったらすっごい喜んでいたこととか。
教科書を買いたい人はいるか教室で尋ねたら、真っ先に手を上げて、どうしたらいいの?って聞いてきたこととか。
最後に会ったのは、ドイツ人ボランティア2人とカフェからお家へ帰る時。赤いTシャツを着てサッカーをしながら"Good afternoon, Ms!"って挨拶してくれたこととか。

新学期、教室に行くまで彼が亡くなったことは信じられないなと思っていましたが、やはり現実でした。今後は24人になったクラスで授業をしていきます。そして2学期以降、このクラスの平均点は彼がいないことにより、さらに下がってしまうのでしょう。。でもそうはさせないように努力するのみです。

 

きっとナミビアにいると交通事故は身近に起こるもの。日本にいるより「死」は身近にあるもの。

私が住むツメブはB1という主要幹線道路上にある街です。このB1、南は南アフリカ国境から、北はアンゴラ国境まで、ナミビア南北をつないでいます。首都に行く際は必ず通る必要があります。そして、事故が多いのもこの道路です(教え子が亡くなった交通事故もB1で発生しました)。
これまで5回ほど任地から首都へ行っていますが、毎回、無事に到着することを祈るしかありません。安全とされるインターケープ(夜行バス)を利用したり、コンビ(バンのような乗り合いバス)に乗る時は座席位置を意識したり、自分でできる対策はできる限りしてこれからも移動しようと改めて思いました。